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EMI

Author:EMI
4人の子どもの母で、ステップファミリーです。

これまでの子育ての経験を元に、
ママたち・パパたちの応援団をしています。

子どもは親を選んで生まれてくるようです。
そしてだれもに、生まれてきた理由があるみたいです。

尊い人生を心豊かに・・・丁寧に・・・

ウキウキワクワク・・・生きていきましょう。

~あなたに代わる あなたはいません~

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胎内記憶のリサーチをしています。 お子さまの胎内の記憶・誕生記憶・雲の上での記憶など・・・お話でも、お絵かきでも構いません。 是非、お気軽にご連絡ください。 luckyemi3580@yahoo.co.jp

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人生に学ぶということ。

親愛なるあなたへ

私 子どもの頃よく 大人の人たちが
「棺おけに入る頃は みんな同じだよ。」
という言葉を聞いていたんです。
それで そうなのかな~って いつも考えていたんです。

思春期も過ぎて 大人になってからも、
いろいろ考えたんです、その言葉の意味を・・・。

「同じだよ」って
出くわす「出来事の量」が 同じってこと・・・?

「しあわせの量」が 同じってこと?

それから次第に 何となく
それは 人として「学ばせていただく量」なのかな
・・・とかいろいろ思ってたんです。

でも 「ある時」・・・
「棺おけに入るとき」っていう そのスパンが違うんだ!
って 思うようになったんです。

一生を ひとつのスパンだとしたら
例えば 通り魔殺人に 殺されてしまった人や
子どもの頃から 病に苦しめられた人や
また 普通と思えるような人生を 生きている人や・・・
人それぞれの いろいろな人生が あるのに
それが たとえ学びの量だとしても
何の量だとしても 同じだなんて
何だか おかしいと思ったんです。

それに それぞれの人生で出くわすことが
ただの偶然だよ・・・とか
運命だよ・・・とかで片付けられてしまっては
何だか かなり不公平だと思ったんです。

私も いろいろなことが 今まであったけれど
そのいろいろな出来事を ただの偶然とか
運命とかでは 片付けたくない・・・って・・・。

だって・・・でないと、そんなの あまりにも悲しすぎるから・・・。

その「ある時」に

人は何度も何度も生まれ変わっていて
その輪廻転生の繰り返しが 
いつまで 続いているのかは 解らないけれど
もし最後には 菩薩さまか何かに成れたとして
その長い長い修行期間が そのスパンだと考えたら・・・

出会う人たちや 出会った出来事から
学ばせて頂きながら 
魂を磨いて行かれているんだ・・・って考えたら・・・

すべての出来事には 必ず意味があって
すべての出来事は 私の魂を磨く為の メッセージなんだって 考えたら・・・

目の前が ぱーっと明るく広がって行ったんです。

その「ある時」って 他でもない 池川 明先生からの
「人生は自分が 生まれてくる前に描いてきたシナリオどおり」とか
「子どもは親を選んで生まれてくる」とか
科学者である先生と そのお言葉に 出会えた時なんです。

溺れそうになった私を そこで救って頂いたんです。

それは、それまで必死に もがきながら泳いでいたのに、
溺れそうになってしまった私を 誰かがきっと見てくれていたからだと思うんです。

だから、そんな素晴らしい先生とそしてお言葉と 出会えたんだと思っているんです。

それから、20年も前に母のお友達に戴いておいて 放っておいた
シャーリー・マックレーンの本が ストンって
腑に落ちていったんです。

「その時」っていうものが あるんですね。
腑に落ちる「その時」・・・。

私は それからスピリチュアル的なことに しばらく
浸ったのですけれど・・・
でも いつからか それもちょっと変だな・・・
って 思うようになったんです。

「自分」がいなくなってしまうような 気がしてきたんです。
依存しているような・・・。

でもね、自分で蒔いた種は 
自分で刈り取らなくてはならないんじゃないの・・・って。

そんな時に 出会ったのが 澤谷先生だったんです。


私は 自分の人生のシナリオや 悲しみから救われたとしても
「そこから」が とても大切だと思うんです。


例えば 私も経験者ですが
離婚しようと思って 結婚する人なんて ひとりもいません。
かなりのエネルギーがいることですし・・・。

でも 夫婦仲がかなり悪くなってしまったり
結果的に離婚してしまったとしたら
その痛手から 立ち上がったその時には
そこには 必ず大切な意味があることを・・・ 
メッセージがあることを・・・

自分と しっかり向き合って 考えたほうが 
遥かに人生の味わいが 違うように思うんです。


例えば 愛する人が亡くなってしまったとしても
それが 自殺であろうと 突然死であろうとも

悲しみから 立ち上がったその時には
それは「死ぬために 産まれてきた」からこそ
そこには 必ず大切な意味があることを・・・ 
メッセージがあることを・・・

自分と しっかり向き合って 考えたほうが 
遥かに人生の味わいが 違うように思うんです。

ただ、そこで悲しみを封印してしまっては 
いけないように思うんです。
切なさから 目をそらしてしまっては
いけないように思うんです。

泣きたいだけ泣き
悲しみに浸っていて いいんだと思うんです。
そこで 自己をしっかり見つめることは
とても 大切なことだと思うんです。

でないと また 溺れてしまうような・・・
味わいの少ない人生で 終わってしまうような・・・
そんな気がするんです。

それは とても辛いです。
とても 辛いけれど・・・。

深く考えることを 怖れなくていい・・・。
だって、しあわせになる為に生まれてきたんですから・・・。
ただ、その道中にいるだけのことなのですから・・・。

もちろん その悲しみにいつまでも長いこと
浸っている必要も
自分を責めてばかりいる 必要もない。

だって 折角 神様か 誰かに救っていただけたのだから・・・。

悲しかったり、切なかったり・・・痛みがあるのは
生きている証拠だし、

うんん。水だって 空気だって 何ひとつ 自分じゃ作れない
そんな私たちは 大自然に生かしていただいているんですもの。

いつまでも 悲しみに浸っていないで
自分で 泳いでいかなくちゃ・・・。


でもね、ひとりで泳いでいけるようになる為には
何で 溺れそうになってしまったのか・・・
泳ぎ方を学ばなくては ならないと思うんです。

澤谷先生は 手出し口出しはなさらないけれど
そういったとても大切なことを 
教えてくださったような気がします。

何度も また 溺れそうになったときがあったけれど
最初は 手を差し伸べ、
次第に もう手を差し伸べては下さらなくなっていった・・・。

私が 必ずちゃんと 泳げるようになることを 信じて・・・。
後は、ただ 横で微笑んで 見ていてくださっていた・・・。

だからね これでもだいぶ 独りでも 
泳げるようになってきたんです。


時には 大波が押し寄せてくるときもある。
それから 朝陽を浴びたキラキラ光る波を うっとりと
眺めているときもある・・・。

そして 大海原で ただただ
その潮の流れに 身を委ねていれば それでいい時もあったり・・・

月のまなざしを 感じながら
独りの寂しさを 感じたり・・・

一緒に泳ぐ仲間たちと 語り合ったり・・・
時には 少し泳ぎ方を教えて差し上げたり・・・

そう・・・
出会うすべての出来事には
必ず 意味があって
必ず それは大切なメッセージだ・・・って
あるがままのすべてを 受け容れてしまえば・・・

過去に味わった 深い悲しみの味わいを
共に そこで語り合うことも出来るし
泳ぎがうまくなる喜びを
共に 分かち合うことも出来る。


ああ・・・それが 人生に学ぶということなんですね。
自分の人生こそが 何より最高の教科書ですね。


みんな
そうやって 
泳ぎ方を 学んでいくのかもしれない。


ああ・・・
目を瞑っていると
いつかイルカたちと語り合った時のことを

イルカたちが 私たちを助けてくれた時のことを

何だか思い出してくるようです。

月のまなざしと 満天の星・・・。

大海原に浮かぶ私は 大自然のすべてと 溶け合い
真の祈りが 宇宙に届いていく・・・。

そんな気がいたします。
素敵・・・。


そういえば・・・
あの夢は 本当だったのかもしれない・・・。

私が 鯨やイルカに 助けられて
七つの海を 一緒に泳いでいた夢・・・。

今まで あれほど 気持ちのいい目覚めはなかったんです。
                              
 
                   千賀子
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