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EMI

Author:EMI
4人の子どもの母で、ステップファミリーです。

これまでの子育ての経験を元に、
ママたち・パパたちの応援団をしています。

子どもは親を選んで生まれてくるようです。
そしてだれもに、生まれてきた理由があるみたいです。

尊い人生を心豊かに・・・丁寧に・・・

ウキウキワクワク・・・生きていきましょう。

~あなたに代わる あなたはいません~

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胎内記憶のリサーチをしています。 お子さまの胎内の記憶・誕生記憶・雲の上での記憶など・・・お話でも、お絵かきでも構いません。 是非、お気軽にご連絡ください。 luckyemi3580@yahoo.co.jp

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感じる力

お手伝いさせて頂いている 「10代子育て塾」第2回目の講座 

ワークショップ「思春期の子どもとのコミュニケーション」
~子どもの心に寄り添う~ 

という講座が開かれた。

講師は、袰岩 奈々(ほろいわ なな)さんとおっしゃる
カウンセラーであり、
「感じない子ども 心を扱えない大人」(集英社新書)の著者でもある方で、
このご著書は既に24刷目を発刊している。

まず今、「感じない子ども」がとても増えているというのだ。

例えば、野球のコーチのこんな話があるという。

試合に勝って、子どもたちに、「勝って良かったね~!」というと、「まあね…。」
「負けて悔しかったね・・・」といっても、「別に…。」

「今年は笑って泣けるチームにすること」がまずの目標だという。

快・不快を味わう経験があまりない時代に生きていることが
原因として挙げられるのではないかという。

冬でも、朝から温かいお湯で顔を洗うことができ、
冬の水の冷たさの不快感と しゃっきり感を今の子どもたちは知らない。

また、乳幼児期の母子の対話不足や
幼児期の早期教育による知識の教育、テレビなどにさらされた受身の時間。
児童期の食事をちゃんと味わうことも少なくなっている。

私は読書離れもあるのではないかと思う。

子どもの頃から読み聞かせによって、
登場人物の気持ちを 親子で想像してみることも大切ではないだろうか…。

それからまた、相手の立場に立つ前に、自分がその経験をして
何を感じたか…を味わえない子どもが増えているというのだ。

順番に並んでいる所に、横入りをされたら、嫌だという気持ちも、
筆箱を落とされたら、嫌だという気持ちも、分からないそうだ。

以前、私も子ども会の仕事をしているときに、こんなことがあった。

登校班で整列しているときに、足を踏まれ続けて、
学校に行きたくなくってしまった男の子のことだ。
足を踏み続けていた方の男の子は、
足を踏まれたら痛くて嫌だという気持ちが
全く分からなかったというのだ。



ところで、集まった大人も、感情を言葉にするワークをしてみた。

普段からスタンバイの状態にあるお母さんもやはり
「気持ち」というものは、どうやら蓋をされていることが多いらしい。

でも、気持ちを表現することに抵抗のあるのは、むしろ男性の方のようで、
「問題解決モードの男性」と「情緒共有モードの女性」との夫婦間の距離も
そこにあるという。

最後に、二人ひと組になって こんなワークをした。

・・・「お母さん、私、みんなから嫌われているのかな」
と、お子さんに聞かれたらなんて答えるか…考えて、
実際にそれを演じてみるのだ。

その答えの中で一番多いのは、

「どうして、そう思うの?」というセリフ。

実際やってみると、その「どうして」というワードは、
「叱られてしまった」とか「受け入れてもらえない」とかをイメージする言葉だった。

「どうして」は理由を聞く疑問詞というより、
普段よくありがちな、

「どうして、こんな所に靴下があるの?!」

「どうして、夏休みももう終わるっていうのに、宿題終わっていないの?!」

という意味の 否定的な「どうして」の方が、先行しているようだ。

だから、大人の「どうして」には、子どもは答えられない・・・
ということ・・・を感じてみたのだ。

まず、子どもの状況を受け入れ、
そういった気持ちがあることや 
その気持ちを持ってきてくれたことを
認めて受け容れることだろう・・・。

感情は、お腹が空くように、〈感じているもの〉と捉えると、扱いやすいようだ。

感情自体に良い、悪いはないし、ネガティブな感情や、同時に起こる矛盾した感情は
否定されがちだけれど、決してそうではない。



・・・そう言っている私も、最近、「感じること」に
見て見ぬふりをしている気がした。



袰岩奈々さんのご著書「感じない子ども 心を扱えない大人」(集英社新書)の
「おわりに」のとても心に残っていた文章の抜粋


《 この本を書いている2001年の春、
幼児虐待のニュースがあちこちから聞こえてくる。
愛知県でおきた幼児虐待事件の公判を伝える報道では
こんな詳細が報じられていた。

21歳の夫婦が3歳になる娘を段ボール箱に閉じ込め、
食事も与えず1か月も放置したとのこと。
その間に交わされた夫婦の会話…。

「そろそろやばいんじゃない?」 「そうだね」

この会話だけからの判断だが、
彼らにはこのまま放っておいたら子どもがどうなるか、
というリアルな実感としてのイメージが希薄なようだ。
そして、そんなふうに放っておかれる子どもが感じるであろう
さまざまな苦しみ…

空腹のまま、誰からも顧みられず、徐々に死へと向かう不安や恐怖…
を感じ取る力も、この若い夫婦は失ってしまっている。

「自分たちがなんとかしなくてはいけない」と思うに至らない。
周囲でおきていることと自分をプッツリと切り離してしまっている。
彼ら自身が引き起こした犯罪なのだが、
ここに見えるのは「感情」や「共感する力」「イメージする力」を
失ってしまった極端な例といえるだろう。

だが、こういった傾向は若者を中心として、
一般的に強くなっているという印象が私にはある。
問題がおこっていても、「誰かがなんとかしてくれるだろう」と放っておく。

冬の寒空に酔っ払った人間をそのままに放置したらどうなるか?

自分が飲み終わったジュースの空き缶を階段に
置いたままにしておいたら、どんな迷惑や事故につながる可能性があるか?

そう言った想像力がない。起きていることは見えている。
でも、それを自分がなんとかしなくては、とまで思うことができない。

・・・・・・・・・・・・・

自分で自分の気持ちに気付き、その落ち着き場所を見つける力。
自分と周囲との関係を感じ取る力。
相手の気持ちをわかろうとする力。
これらは感情への注目が薄れるにつれて
大きく減退しているのではないだろうか。 》



9月24日に開かれる 袰岩奈々さんの最後のワークショップが楽しみだ。






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