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EMI

Author:EMI
4人の子どもの母で、ステップファミリーです。

これまでの子育ての経験を元に、
ママたち・パパたちの応援団をしています。

子どもは親を選んで生まれてくるようです。
そしてだれもに、生まれてきた理由があるみたいです。

尊い人生を心豊かに・・・丁寧に・・・

ウキウキワクワク・・・生きていきましょう。

~あなたに代わる あなたはいません~

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胎内記憶のリサーチをしています。 お子さまの胎内の記憶・誕生記憶・雲の上での記憶など・・・お話でも、お絵かきでも構いません。 是非、お気軽にご連絡ください。 luckyemi3580@yahoo.co.jp

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澤谷 鑛&池川 明トークライブショー(Ⅲ)

お次は澤谷先生のお話です!

当日の午前中にも、「澤谷鑛ヒューマンライフ基礎講座」が行われ、
「心」に関してお話を受けました。
その時、体験談を語られた、某国立大学准教授のお話は、
午後からの澤谷先生のお話にも、出てきたのですが、
私は、その準教授が午前に話された体験談に、深く感じ入っておりました。

今までそれは、何度か伺っていたのではありますが、
ご本人の口で語られるのは、またやはり違った趣があったのです。

・・・当然のことでしょう・・・。

ご本人が主役の・・・その方しか語れない・・・
その人ならではの人生なのですから・・・。

それまでトントン拍子に生きてこられたご人生から
急展開されたことにより、
澤谷先生のところへカウンセリングを受けに行かれ、
心を耕し、今まさに、これまでの家族の絆を味わっておられるのです。

今は亡き者のサポートだけでなく、
生きている家族の者の心を感じ、溶け合い・・・
正しく、「恕の心」をお感じになられたのでしょう・・・。




「恕の心」とは・・・

昭和の最後の頃、
一番若い、大学を出たての新米記者が、司馬遼太郎に
「記者として、一番心掛けたいことは何でしょうか。」と伺ったところ、
「恕の心です。」と答えたそうです。

「恕の心」とは、相手の立場に立つという意味らしく、
例えば、殺人事件にしても、
被害者の立場だけでなく、加害者の立場にも立つということというわけです。

その人にも親がいただろう・・・
その親のことを考えたら、殺人なんかできないだろう・・・
なのに、そうせざるを得ない余程のことがあったに違いない・・・。
と、その立場に立たなければならない。

新聞記者が本当にその心を持った時、はたして記事が書けるでしょうか・・・。



私は以前、北鎌倉の円覚寺に坐禅を組みに行ったとき、
和尚さんがお話くださったご法話で、初めて伺った
島秋人の『遺愛集』を思い出していました。

殺人を犯し、刑に処されるまでの、
牢獄の中で書いた彼のこれまでの人生の懺悔。
そしてそれでも尚 愛し続けた母への愛と
生きてきたこれまでの人生への愛を綴った詩歌の数々です。

私はこれほどまで、懺悔の美しさを感じたことはなかった・・・。

どこに「真実」があろうと、ここに「真理」があるように感じたのです。



それを思い出すと同時に、
それまで正義と理論を大事にしてこられた・・・
そんな準教授の、人生を噛み砕かれるように味わっておられるお姿に
私は、胸が詰まるように感じました。

すべてが論理的に正しいのに、
なんで自分の人生はガタガタになっていくのか・・・
「正しい」ということが何故通らないのか!



自分と向かい合う・・・。
少しも背くことなく、
真正面から自分と向かい合うとことは、とても厳しく辛いものです。


でも、その先にはしあわせがあることをどこかで感じているのかもしれません。



先生は、その準教授のお話を織り交ぜながら、語られました。

また、「鏡の法則」と言われるように、
現れ出ている現実は、自分の心が鏡に映っている。
鏡に映っているものをどんなに変えようと思っても、
自分の心を変えないと現実は変わらない。
腹を立てて、割ってしまっても、返って複雑に見えるだけ・・・。

その「心」というものも、
たった0.01%と言われる顕在意識ではなく、
99.99%の潜在意識で捉え、そこをデトックスしないとならない。

そしてまた、悲しいこともすべて今まで過去の中に入っていたものが
現れ出て消えて行ったことだから
悲しみもやるせなさも情けなさも、すべてを喜ばなくてはならない。

またそれに、自分は情けない自分だと思う人は
完全なる自分を知っているから・・・。
かじったリンゴのかじった部分が気になるのは、
丸いリンゴの形を知っているからなのでしょう。


道元が書いた「正法眼蔵」の「仏向上心」にもあるように、
存在自身が完成されたものであって、
すべては完璧な姿のまま、拡大向上を遂げているのです。


また、澤谷先生の師匠筋の方がこんなことを話されたそうです。

「こういうたましいってあるんだよ。

大悪人がいた。
その人は世の中のためになると思った、ある牧師が
この大悪人の罪を全部背負って刑にかかって死刑になった。
それを知りつつ、生き残った大悪人は世の中のために、一所懸命働いて死んでいった。」


中絶される子も、中絶されるために生まれてくる。
中絶された子は、その牧師さんのようなたましいなのかもしれない。


死ぬために生まれてくる・・・
本人がそれをミッションとして生まれてくるならば
その死んでいったいのちを尊ぶべきなのでしょう。


感情を共有し合い難い、今の世の中は尚更
潜在意識の奥に封じ込めた感情がたくさんあるのでしょう。
でも、それがある時、フラッシュバックしたり、
ある時、夢に現れ出たりする・・・。

またある時は、大泣きした時・・・
その涙は、こころにヘドロのようについていたものをやっと手放した・・・
と、あなたの魂が本当に喜んだからですよ・・・

澤谷先生はそうおっしゃるのです。


たましいが喜んで涙する・・・。

何て美しいのでしょう・・・。


最後に先生はこんな話をされました。
ご自身が48年ぶりに小学校の頃の同窓会に行かれたそうです。

還暦を迎え、久しぶりに同窓会に行くと、
もう既に亡くなっていた人が何人もいた。
これから始まる宴会のお料理を前に
亡き師に・・・亡き友に・・・黙とうを捧げる。

また3時間の同窓会の後、誰も帰らずに二次会に行き、
それが終わった後、

寂しさが残った・・・。

「絆」とは、本来煩わしいもの・・・
しかも、必ず離れることを知っていながら、
人は絆を結ぶのですね・・・。



思うようにいかない、この世こそ面白い。
あらゆる形で人生の意義を感じ、
人が人と縁を結び、絆を結ぶ。
人と人との間で人間へと たましいが成長していくことにこそ、
しあわせな人生の実現があるのかもしれません。



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