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EMI

Author:EMI
4人の子どもの母で、ステップファミリーです。

これまでの子育ての経験を元に、
ママたち・パパたちの応援団をしています。

子どもは親を選んで生まれてくるようです。
そしてだれもに、生まれてきた理由があるみたいです。

尊い人生を心豊かに・・・丁寧に・・・

ウキウキワクワク・・・生きていきましょう。

~あなたに代わる あなたはいません~

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胎内記憶のリサーチをしています。 お子さまの胎内の記憶・誕生記憶・雲の上での記憶など・・・お話でも、お絵かきでも構いません。 是非、お気軽にご連絡ください。 luckyemi3580@yahoo.co.jp

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今世での再会に乾杯!

昨夜『いのちの絆の物語』(池川明・澤谷鑛著)の出版のために
出版社の南方新社さんとのご縁を繋いでくださった、
波多野毅さんから、メールをいただきました。

波多野毅さんは、熊本小国町に「TAO塾」を創設され
http://www.taocomm.net/

寺子屋塾の仕事の傍ら、時に鍬、時にペンを持つ生活をしながら、
教育・健康・環境に関する様々なプロジェクトを推進しながら、
国内外の研修生を数多く受け入れていらっしゃるという
画期的な活動をされていらっしゃいます!

祖母さまのの死がきっかけで東洋医学・ホリスティック医学に興味を持ち、
東洋鍼灸専門学校にて鍼灸指圧の資格を取得され、
また、マクロビオティックも学んでおられます。

ところで、タオさん(波多野さん)からのメールは、何かと思いましたら、
妹さんが、西日本新聞の朝刊に載られたというのです!


2年位前のことでしたでしょうか・・・
若い頃から里親になることを希望しておられたという
妹さんのお話を伺った時には、本当に脱帽でした!


私みたいに、
・・・お腹を痛めた子でないと本当に愛せないのかしら・・・
なんて次元の低いことで悩んでいるのと、大違いです。

ところで、そのタオさんから頂いた、新聞のコピペをご紹介しますね!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

西日本新聞朝刊に別府に住む 妹の記事が掲載された。以下、新聞コピペ。

**********************************

どんな赤ちゃんなんだろう-。
福岡市に住んでいた主婦 北里聖子さん(46)が、
1歳になったばかりの翔太君(仮名)と初めて会ったのは
2009年3月、同市内の乳児院だった。

 床にちょこんと座っていた翔太君と目があった。
「この子は-」。聖子さんは確信めいた思いを抱いた。「うちの子になるわ」

 翔太君は福岡県内の病院で生まれた後、
家庭の事情で、そのまま乳児院に引き取られた。
先天的な脳の障害があり、左の手足にまひがあった。

 乳児院の記録には、リハビリが日々必要なこと、
知的な遅れが出るかもしれないことが書かれていた。
そして、笑顔がとびきりすてきなことも。

 聖子さんと、夫で臨床検査技師の謙二さん(51)は
養育里親として福岡市に登録。
市から紹介を受け、乳児院に通うようになった。
病気のときは付きっきりで看病し、ときには自宅に泊めて3カ月。
翔太君は北里家の子になった。

 保育士として、結婚前に自閉症の子を療育する施設などで
働いていた聖子さんは、新婚時代から里親を希望していた。

 「施設だと職員の異動や転職で子どもに接する期間がどうしても限定されてしまう。
子どもには長い間、愛情を注いでくれる心のよりどころとなる人が必要だ」。
そう実感してきたからだ。

 一方、謙二さんとの間に2人の男児にも恵まれた。
「自分の子と同じように愛せるか分からない」と、
里親に踏み切れなかった謙二さんだったが、
子どもの少年野球チームの指導を通じ、気持ちが変わった。
長男が高校に進んだ5年前、ついに聖子さんに同意した。

 翔太君の話が持ち上がった際、猛反対したのは
聖子さんの母、ミヨ子さん(72)だった。
「苦労するのは目に見えている」と説くミヨ子さんに、
聖子さんは感謝の言葉で答えた。
「幸せな家庭で多くの愛情を受け、なに不自由なく育ててくれてありがとう。
今度は私が恩返しをしたい」。ミヨ子さんもうなずいた。

 大学に進学していた長男は当初、「僕たちがいるのに」と帰省時に戸惑っていたが、
いつしか高校生の次男ともども、翔太君を抱っこしたり一緒に寝たりと、
本当の兄弟のようになっていた。
ミヨ子さんも「翔太君、ばあばよ―」と毎日、熊本県から電話してくる。

今年4月、謙二さんの転勤で一家は福岡市から大分県別府市に転居。
車いすが手放せなかった翔太君は、リハビリのかいもあって
自分の足でゆっくり歩けるようになった。
まひがある左手で物をつかんだり、じゃんけんをしたり…。

 障害による脳波の問題点も、北里家で過ごした1年半でかなり改善に向かい、
担当医師を驚かせているという。
来春から翔太君を受け入れてくれる幼稚園も、ようやく別府市内で見つかった。

11月下旬のある晴れた日。来年2月で3歳になる翔太君は
流れる雲を見上げ、聖子さんに話し掛けた。

 「お空で雲さんが泳いでるね」

「そうね、すごいね」。聖子さんは内心、
「この子はお兄ちゃんたちより賢いのでは」と驚きつつ、あらためて思った。

 「翔太君の天使のような笑顔が、
息子や母をはじめ、みんなの壁を取り去ってくれる。
あなたが来て、私たちもいっぱい幸せをもらっているのよ」 


=2010/12/09付 西日本新聞朝刊=


*****************************************************************


翔太君はきっと、雲を見上げながら、
お母さんや聖子さんの姿を見ていた頃のことを
思い出していたのでしょうね・・・。

聖子さん・・・将にそういうシナリオのお名前ですものね!

それにしても、身体に障碍があろうと・・・
「この子は-うちの子になるわ」。

聖子さんは確信めいた思いは、一体どこから来るのでしょう・・・。


昨夜、頂いたばかりの素敵なお話を早速主人にすると、

・・・とても俺には真似できんな・・・
・・・とはいえ、ほんのちょっぴりだけど、私たちも真似ごとをしてきたね・・・

子連れ再婚も20年経つとようやく、本当の家族です。
妹さんご家族も、きっと感じておられるように、
血のつながりを超えて、必然的だった前世からの繋がりを
特に、ここ最近、感じずにはいられなくなっておりました。

これは、本当に理屈ではないのです。
それに、どのようなあり方であっても、
家族って、本当に深い縁あって
奇跡的に結ばれた意味のあるカタチですものね・・・。


きっと聖子さんのご家族も、
ここまでの日々には、様々な葛藤があったことでしょう・・・。

でも・・・


「翔太君の天使のような笑顔が、息子や母をはじめ、
みんなの壁を取り去ってくれる。あなたが来て、
私たちもいっぱい幸せをもらっているのよ」


妹さんご家族・・・それぞれの今世での再会に、
心から祝福をあげたいと思いました。



乾杯!^^





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