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Author:EMI
4人の子どもの母で、ステップファミリーです。

これまでの子育ての経験を元に、
ママたち・パパたちの応援団をしています。

子どもは親を選んで生まれてくるようです。
そしてだれもに、生まれてきた理由があるみたいです。

尊い人生を心豊かに・・・丁寧に・・・

ウキウキワクワク・・・生きていきましょう。

~あなたに代わる あなたはいません~

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胎内記憶のリサーチをしています。 お子さまの胎内の記憶・誕生記憶・雲の上での記憶など・・・お話でも、お絵かきでも構いません。 是非、お気軽にご連絡ください。 luckyemi3580@yahoo.co.jp

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母と雪とこれからと(前)

母と雪とこれからと(前)

昼間は温かでしたが、やはり夜になると、
冷えますね・・・・



そう言えば、6年前もそうでした・・・。

2004年12月31日 大晦日。
東京では珍しく、雪がしんしんと降っていた。
私は、母の入院先から、母の危篤の知らせを受け、病院に急いだ。

母と 二人。

暗黒の空から降り注ぐ雪が、
ペンキの剥げたブルーグレーの木の窓枠に積もっていくのを
私はただ見つめた。

雪を見ると、決まって母の着物姿を思い出した。
子どもの頃のある雪の日、
母が銀座にホステスの仕事に出かけるのを休んでくれたからだった。
いつも「バタン」という深夜に響くタクシーの音が、
子ども時分の私を安心させてくれる音となった。

母は、着けられた酸素器具を外そうとしたり、苦しがったりした。 
時には、意識が朦朧としているようにも見えた。

すると 突然、ベッドの上に座りだし、
「おかあちゃん! おかあちゃん! おちっこ・・・。」と母は、私の袖を掴んだ。

そして今度は、
《 どんぐりころころ どんぶりこ。 おいけにはまって さあ、たいへん。
どじょうが でてきて こんにちは。ぼっちゃん いっしょに あそびましょう。》
と、物凄いスピードで「どんぐりころころ」歌いだしたのだ!

 まるで、母の魂に埋め込まれていたビデオテープが、
急に巻き戻されたかのようだった。
子どもの頃、よく祖母と歌っていたのだろうか・・・。

 母は、子どもの頃へ帰っていったのだ。
これが、母のアカシックレコードなのかしら?!

この広い宇宙に、図書館ともいわれるアカシックレコードがあって、
人類すべての記憶が貯蔵されているというけれど、
将にこの「どんぐりころころ」を歌うこの速さは、
母の魂にあるそのビデオテープの巻き戻し?
と思ってもおかしくないほど神秘的な映像だった。
人の心の奥にある潜在意識と、片付けてしまうのは、あまりにも簡単すぎる。

静まり返った病室に響き渡る母の幼児語と、その速さの童謡は、
将に何かを意味していた。
母は、死を目前に、体という器に守られた魂の神秘を 
まるで女優のように演じながら、私に教えてくれているように思えてならなかった。

しばらくすると、雪が止んだ。
と同時に、時間も、そして母の演技も、そこで止まった。
 
窓から、外を見た。外は、大晦日。
どこの家もきっと新年を迎える最後の仕上げに、気ぜわしい頃だろう。

四回目の入院だった。
入院するという知らせを受けた二週間前、自宅から東京の実家に行ってみると、
いつやら美容院に行ったらしく母の髪は、綺麗にセットされていた。
・・・なんだ。大したことないんじゃない。

後から思えば、それは旅支度だった。

三年前に父が入院先の病院で肺炎になり、亡くなった時と全く同じだ。
またそのときのような順番で、あの世に逝こうというのだろうか・・・。
入院先の病院から危篤の知らせを受けたその時も、
生死を彷徨う父と、こうして二人でひと晩過ごした。

父の危篤の知らせを受けた二週間前、主治医の先生から、
父の様態が思わしくないという説明を受け、
大森駅の喫茶店で、ひとしきり泣いてから自宅に帰った。

自宅近くの信号を渡ろうとしたとき、ふと夜空を見上げた。
ひとつだけ大きく瞬いていた星を見たその時、
荒井由実の《朝陽の中で微笑んで》が過ぎった。
《 ・・・宇宙の片隅で巡り会えた歓びは、うたかたでも身をやつすよ・・・ 》
父との別れが近いのが、解った。

どこか、広い空の見える山のてっぺんに行って、ひと晩中空を見ていたい・・・。
それから三ヶ月して、父は帰らぬ人となった。



止まった時間と冷え切った病室の中で、母を見ながら、父を思い出していた。

すると、四人の子ども達と夫、そして私の二人の弟がやってきた。 
順番に母と話をした。 
意識を取り戻した母は、最初は嬉しそうに話していたが、
急に息が荒く、苦しそうになった。 
看護師さんと担当医師が処置に入った。  

すると今度は、急に母は両手を合わせ
「ありがとう。ありがとう。ありがとう・・・。」
と 言った後、般若心経を唱え始めた。 

私も、父の死の時と同様に
「ありがとう。ありがとう。ありがとう・・・。」
と 叫んだ。

母は、そうして、あの世へ逝った。
すべてが終わった。

母との長い長い闘いも終わった。

父の時と同じように、体中に着けられた管という管は、すべて取り除かれた。
母のその魂の抜け殻を、弟と実家へ運んだ。 
実家のリビングのテレビの近くに、母は横たわった。 
NHKの「紅白歌合戦」が、始まった。
 ・・・ああ、そうか・・・母はこれがしたかったんだ・・・
また、昔のように、子ども達とみんなで観たかったんだ・・・「紅白歌合戦」…。  
働き通しだった母が、年にたった一度だけ、ゆっくりテレビが観られる大晦日。
それは、私たち子ども達にとっても、ほっとできる唯一の日だった。

 父が亡くなって、ひとりでお正月を迎えたくない、
と毎年言っていた寂しがり屋の母が、最後にとった手段・・・
それが「死」という形だったのかもしれない。
 年が明け、三が日があけるのを待って、葬儀が執り行われた。 
火葬場で、母の姿が消えていくのをただ見つめた。

それにしても、どうして私は母と出会ったのであろうか。
どうして、あんな風に母は亡くなっていったのだろうか。
何より、両親との出会いの意味と母との関係を「因縁」と感じていた、
その意味が知りたかった。 
と同時に、私自身の人生の意味が知りたかった。

母が亡くなって、たった二週間した頃、私は、心の封印をぱったり閉じ、
遺伝子の研究で有名な村上和雄先生のお話を伺うことになった。

「遺伝子を解読することには成功したが、
それよりこの遺伝子を書いたのは、誰?と
考えたら 眠れなくなった・・・。」
と 笑いながら仰っていた村上和雄先生のお話を
食い入るように聞いていた。

両親がいなければ自分という存在はない。
でも、その両親にも両親がいて、その両親にも両親がいて、
その生命が長い間、繋がってきたからこそ、「自分」が存在する。
ひとつでもそれが欠けていたら「自分」という存在はありえないのだ。

 「世界は一つの生命からはじまった~サムシング・グレートからの贈りもの」(きこ書房)を出版された、村上和雄先生のお話は、
母を亡くしたばかりの私の細胞に染み渡るように入ってきた。
義母・父そして母を見送った十年間に及んだ歳月の中、
「死」によって「生きる」意義をずっと考え続けていたからだろうか・・・。



それから、6年間の歳月が流れた。
いろいろなことがあった。
いろいろな出会いがあった。
どれをとっても、なくてはならない必要な出来事であり、
必要な出会いであったと・・・しみじみ感じる。



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