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EMI

Author:EMI
4人の子どもの母で、ステップファミリーです。

これまでの子育ての経験を元に、
ママたち・パパたちの応援団をしています。

子どもは親を選んで生まれてくるようです。
そしてだれもに、生まれてきた理由があるみたいです。

尊い人生を心豊かに・・・丁寧に・・・

ウキウキワクワク・・・生きていきましょう。

~あなたに代わる あなたはいません~

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胎内記憶のリサーチをしています。 お子さまの胎内の記憶・誕生記憶・雲の上での記憶など・・・お話でも、お絵かきでも構いません。 是非、お気軽にご連絡ください。 luckyemi3580@yahoo.co.jp

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セピア色の思い出

毎年、銀杏が斜陽に光る頃になると、決まって思い出すことがあります。
でも何故か今年は、そのひとつひとつが色鮮やかなのです。


それは小学二年生の昼下がり。
珍しく家にいた父と弟と、近くの千葉公園へ散歩に行って、帰ったときのこと。
長く伸びたお日さまと落ち葉と、戯れながら帰ると
リビングのテーブルに「しばらく家を出ます」と短い母の手紙が残されていました。

直ぐに二階に駆け上がり、机から辞書を取り出すと、
「しばらく」という言葉を探しました。
そこには短く「数日」とか「少しの間」とか書かれていました。

もちろん、小学二年生ですから、その位解っていましたし、
毎日喧嘩の絶えない父と母のことですから、
いずれそうなることも解っていました。
だからなのか・・・泣くということを一切しませんでした。


数か月経ったクリスマスイブの日。
「あなたのお母さん、そこの郵便局にいらしたわよ」と教えて下さった、
他の学年の先生の言葉を頼りに、
小さな背中にランドセルを踊らせ、郵便局に飛び込みました。
確かに、目の前に母はいました。
けれど、華やかで、千葉には不似合いな母の姿を見たとき、
言葉にできない悲しみを感じ、
声をかけることもしないまま、静かに扉を閉めました。


結局その後、私と弟は、母の実家の東京に引っ越すことになり、
伯母にあたる父の妹が、慌てて私と一緒に、クラスメイトに渡す記念の品として、
匂い付きの消しゴムとノートを買いに、文房具屋さんに連れて行ってくれました。

そして次のクリスマスの日。
私と弟は、荷物と一緒に、千葉駅の喫茶店で母に渡されました。


若い頃、母親を亡くした父と、若い頃、父親を亡くした母・・・。

寂しいもの同士の二人の姿を、きっと長いこと、空の上から眺めていたのでしょう・・・。
なのに、なにひとつ、私は両親の役に立つことが出来なかった・・・。
・・・無力な自分にため息をつきました。
不仲な両親を選んで果敢に生まれてきたものの、何の役にも立てなかったと・・・。


その後、数か月後に父が現れました。
とっても嬉しかった・・・。
だって、母にとっては憎い夫でも、私にとってはかけがえのない父ですから・・・。
でも、それから父と母の争いは再開してしまいました。

深夜、夫婦げんかに目を覚ますと、私はとうとう耐えられなくなり、
父を殺そうと、台所に包丁を取りに行ったものの、
床の軋む音が怖くなり、止めました。
母は、それまでを取り戻すかの様に、
躾という名の虐待の如く、私たち姉弟を厳しく育てました。
私は、家庭を壊してしまうことのないよう、良い子を務め、
そして父への想いが母に知られないように・・・
大人たちの人間模様を斜に眺めて、過ごしました。
それから、母は夜の銀座にでるようになり、
帰宅を知らせるタクシーのドアの音を聞いてから、やっと眠りにつく日々が続きました。

思春期になって、そんな私を誰よりも支えてくれたのは「荒井由実」でした。
彼女の詩とその音が、誰よりも私を支えてくれました。

大学卒業後すぐに結婚し、直ぐに娘を授かりました。
しかし、その結婚は長くは続きませんでした。

産後直ぐに始めた、夜中に営む鮨屋の経営と・・・
初めての子育てで身体がボロボロになる中・・・
娘がハイハイがようやく出来るようになったある日の夜中、
様子を見に二階に上がってみると、ベビーベッドに娘の姿がないのです。

長い廊下をハイハイしながら、夜中にひとりで私を探したのでしょう・・・。
台所のテーブルの下に、娘の姿を見つけ、抱きしめたその瞬間、
子ども時分のすべてが一気に蘇ってきたのでした。

・・・もしあの時、母の「育てたくても育てられない辛さ」を想うことが出来たら・・・
そんなことにはならなかったかも知れません。
でも、まだ24歳の私には無理でした。
母と同じことを娘にしてしまった自分がどうしても赦せなくなり、
その結婚生活を終えました。


娘と二人、五年間の母子生活の後、産後の肥立ちが悪くて妻を亡くした今の夫と出会い、
子連れ同士の再婚をし、その後、二人の子どもを授かり、4人の子どもの母となりました。


子育てに勤しむ生活の中で、
ようやく少しずつ母の深い愛を想うことが出来るようになりましたが、
今度は、お腹を痛めた子どもと同じように愛せない、養女への自責の念と
長女の不登校や反抗に苦しむようになりました。

そんなある日、新聞紙面にこんな記事を見つけました。
保険の外交をしながら、ひとりで育てていた昔を懐かしく想う女性の記事です。

子どもが熱を出していても、どうしても仕事に出ないとならず、
時々様子を見に家に帰ると、子どもの枕元にもどした後があり、
その横ですやすや寝ている姿が、本当にいたたまれなかったと・・・。

どんなに今の自分が辛くても、
私は今、自分の子どもをちゃんと見守ることが出来る環境にいるではないか・・・と・・・。
謙虚さのみじんもない、傲慢さをつくづく思い知らされました。


育てたくても育てられない・・・

私たち姉弟を置いて家を出た母。
私たちを残して銀座に働きに出なくてはならなかった母。
そして二階に娘を寝かして働かなくてはならなかった私。

でも、もっともっと世の中には
いろいろな形で、育てたくても育てられない・・・
シチュエーションの方がいます。

子どもに先立たれた親。
子どもを残してあの世に旅立った親。

次女にあたる養女の産みの母がそうです・・・。

もうあの世なのですから・・・。

・・・言葉も手も出せない・・・

見返りを期待することも・・・
「欲」も「私」も何もなく・・・
ただただ、元気に生きてくれさえすればそれでいい・・・。
無償の愛とはそのことをいうのでしょう・・・。
でもそれでも・・・どんな状況であっても・・・
必ず想いは伝わり、絆の糸は繋がっているのだと思います。


そう言えば、娘が中学校に進学したとき、
父が初めての体育祭をそっと見に来てくれたそうです。
母が後から教えてくれました・・・。

「なんだ・・・うちによってくれれば良かったのに・・・」

裕次郎のように肩に背広を引っ掛けて歩く父の姿を思い浮かべ、
不器用なその父の想いに胸が熱くなりました。

これまでも、きっと、ずっとずっとそうだったんだ・・・。


無償の愛の持ち主は、もしかしたら女性より男性なのかも・・・
女性よりもっと高く広く愛してくれていたのかも知れない、と思います。



先日、入籍を済ませた二人がしあわせそうな顔を見せてくれました。
MOTHER’S NETの最後の講演会にも、二人で来てくれました。


きっとあの世の両親が、誰よりもそんな娘の姿を喜んでくれていることでしょう・・・。
そして、きっと、心配してくれていることでしょう・・・。


12月の結婚式で、私はちゃんと留袖を着て、
ちゃんと「花嫁の母」として振舞えるだろうかって・・・。


娘が嫁ぐ寂しさを二度も味あわせてしまった父と母・・・
私の今の想いを感じてくれているのが、
今、私ははっきりと手にとるように解ります。



もっと早く親の想いが解ればよかったのに・・・。




まだまだ留袖が似合う私ではないけれど、


でも・・・


今、心静かにセピア色の季節を味うことができる私がいます。













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